
朝礼ネタ:スピーチは短ければ短いほどいい?
(例文)スピーチは短ければ短いほどいい?
皆さんおはようございます。
とある日本語の教科書、つまり外国人が日本語を学ぶ時に使う教科書には、「スピーチは短ければ短いほどいいです」という例文があります。
たしかに、会社での朝礼スピーチというのは聞いているほうにとっては「早く終わってくれ」という気持ちにさせられます。
いま、お聞きになっている皆さんも同じ気持ちかもしれません。
でも、長いスピーチだって人の心を打つ場合があります。スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは約15分という長いものでしたが、伝説のスピーチと呼ばれています。
なぜ、彼のスピーチは長かったにも関わらず、「短ければ短いほどいい」とは言われないのでしょうか。その要因は、もちろん彼の話す中身にもありますが、彼自身にもあるように思います。
話を聞いてもらえるかどうかは、話す中身ではなく、話す人が誰かによって決まる、という考えを山田ズーニーという人が語っていました。
つまり、「この人の話は聞くべきだ」という価値が語り手にあるかどうか、これが話を聞いてもらえるかどうかの決め手になる、ということです。
仮に、この場にいるのが私ではなく、スティーブ・ジョブズであったなら、「早く終わるな。もっと話してくれ」と皆さんは感じることでしょう。
逆にもし、皆さんが今「早く終わってくれ」とお感じになっているのであれば、私自身にそれだけの、つまり話を聞かせるだけの価値が備わっていないということを意味しています。
ですから、私がこれからやるべきことは、スピーチの中身うんぬんよりも、自らの価値を高め、「この人の話は長くなっても聞きたい」とオーディエンスに思わせることなのだと考えます。
皆さん自身も、私と一緒に自分自身の価値を高め、「是非この人の話を聞きたい」とお客様に思われるような人間になっていっていただければと思います。
これで本日のスピーチを終了します。ありがとうございました。
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