明治ブルガリアヨーグルトの日
1973年12月17日、明治ブルガリアヨーグルトが初めて販売されました。
朝礼ネタ:12月17日 明治ブルガリアヨーグルトの日-誕生秘話と社員の熱い想い-
(例文)12月17日 明治ブルガリアヨーグルトの日-誕生秘話と社員の熱い想い-
1973年のこの日、明治ブルガリアヨーグルトが初めて販売されました。
ヨーグルトの本場とされるブルガリアからも認められたヨーグルトとして、発売以来多くの人に愛されて続けておりますが
その誕生秘話について以前テレビで特集がされていました。
今から40年前のこと、大阪万博の「ブルガリア館」で初めてブルガリアのヨーグルトが日本で食される機会がありました。
あまりの美味しさに「これを日本でも食べたい」という思いを抱いた明治の社員が現物をわけてもらい、そのヨーグルト菌を育てて、現在の「ブルガリアヨーグルト」の前身を作ったそうです。
現在では日本の食文化にすっかり根付いたヨーグルトですが、明治社員の先見の明と熱い想いによって生み出された商品でもあります。
そしてもう一つ問題がありました。
それは「ブルガリア」という名称をブルガリアの国家が使用することを断ったことです。
「ヨーグルトは民族の心、他国民が作ったものにその名を貸すことはできない」
ブルガリアにとってヨーグルトは国の誇りであり、文化だったのです。
「ブルガリア」の名称を使用出来ず「明治プレーンヨーグルト」として1971年に日本最初のプレーンヨーグルトが誕生しました。
しかし、明治社員の
「どうしても本場ブルガリアのヨーグルトの味を日本の食卓に届けたい」
という熱意がブルガリアの心を動かし、1972年にブルガリアの国名使用許可を取得し、
そして1973年の今日の日に明治ブルガリアヨーグルトが誕生。瞬く間にヨーグルトブームを起こしました。
未来の日本の食文化を豊かにしたいという思い、断られても諦めない姿勢が国を動かし、ブルガリアのヨーグルトが日本人にも浸透したのだと思います。
ゼロから商品を開発したり、前例がないことをするときには必ず大きな壁が立ちふさがるのだと思います。そのときに諦めずに這い上がるような心を常に持って仕事に励みたいと思います。
飛行機の日
1903年12月17日、アメリカ・ノースカロライナ州のキティホークで、ウィルバーとオーヴィルのライト兄弟が動力飛行機の初飛行に成功したことから飛行機の日と制定されています。
朝礼ネタ:12月17日 飛行機の日-JALを再建させた稲盛和夫の名言-
(例文)12月17日 飛行機の日-JALを再建させた稲盛和夫の名言-
おはようございます。
1903年12月17日、アメリカ・ノースカロライナ州のキティホークで、ウィルバーとオーヴィルのライト兄弟が動力飛行機の初飛行に成功したことから飛行機の日と制定されています。
日本の航空業界でいうと数年前にJALの経営破綻が問題になったのを覚えていますでしょうか。
現在は高収益を維持する優良企業になりましたが
当時、京セラやKDDIの創業者である稲盛和夫が再建を任され、リーダー改革や社員の意識改革のビジネス本がバカ売れしました。
私もその本を購入した一人でこの日を機会に
少し読み返したのですが
稲盛和夫の言葉に胸打たれた言葉がありましたのでご紹介します。
「平凡なことを完璧にやり続けることで胆力がつく。」
平凡というと聞こえが悪いですが、先輩から支持された雑務や売り上げに関わらない仕事など
「こんな仕事ばかり」
とうんざりした新入社員時代を過ごした方も多いのではないのでしょうか?
しかし、そういう仕事こそ、真面目に追求して完璧にこなす。
「この仕事はもっとこうすれば効率がよくなるのではないか」
「昨日は10分かかったけど、5分で終わらせて違う仕事をもらおう」
「ただ決められた所を掃除するのではなくて1日1箇所みんなが気づかないような所も綺麗にしよう」
など、どんな些細な仕事であっても自分で向上心を持って行うことで意味を持たすことができ、その経験が責任のある仕事を任された時に必ず生きてくると思います。
そしてそれが「胆力」に繋がると。
胆力とは、事にあたって、恐れたり、尻ごみしたりしない精神力。ものに動じない気力。
ということです。
どんな仕事でも将来に向けて毎日真剣に取り組むことで自分自身の為にもなりますし、それが会社の利益にも繋がります。
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