
朝礼ネタ:アリとキリギリスの童話から考える本当の幸せとは
(例文)アリとキリギリスの童話から考える本当の幸せとは
皆さんは「アリとキリギリス」という童話をご存じでしょうか?
夏にバイオリンを弾きながら、楽しく歌っているキリギリス。
冬に備えせっせと食べ物を運ぶアリ。
いよいよ冬が来て、寒さのなか食べ物がなくなり、息も絶え絶えなキリギリス。アリは豊富な食料で冬を越します。
この話の結末は、アリがキリギリスに食べ物を分け与え改心する結末や「夏歌っていたんだから、冬は踊ってればいいじゃないか?」と突き放すなど複数あるそうです。
私も子供の頃は「後悔先に立たず」という諺と並行してこの話を何度か聞かされ「今辛くても、頑張れば…」と思っていました。
しかし、大人になってふと考えると、キリギリスは本当に不幸だったのか?アリは本当に幸せなのか?
と疑問が出てきました。
アリは夏の暑い中、何も楽しみもない中で食料を運ぶという労働をしています。
まあ、たまに休憩はしたとしても、猛暑の中働くのは決して楽で幸せとは言えないのではないでしょうか?(もしかしたら、過労や事故で倒れるかもしれませんし…)
その間キリギリスは夏から秋にかけて旬の食べ物を食べ、バイオリンを弾き歌を歌いとシーズンを満喫しています。
例え冬に寒さで死んでしまったとしても、既に幸せを十分に感じているはずです。
つまりこの話は、幸せを感じているポイントがずれているだけで、どちらも「幸せ」なのではないでしょうか?
皆さんは今「幸せ」ですか?
それとも、未来の「幸せ」を掴むために、今努力や労働をしていますか?
そして、この話のどちらが「幸せ」だと感じますか。
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